凧揚げは昔はいか揚げだった?
日本の伝統的な遊びである「たこあげ」は、昔から多くの人々に親しまれてきました。
しかし、その呼び名が時代とともにどのように変遷してきたかをご存じでしょうか?実は、たこあげの「たこ」という呼び方には興味深い歴史が隠されています。
本記事では、その由来や変遷について解説します。
元々の呼び名は「いか」
たこあげの元々の名称は「紙鳶」と書いて、「いかのぼり」と読みました。この名称は、飛び立つ姿が空を泳ぐイカに似ていることから名付けられたと言われています。また、略して単に「いか」とも呼ばれていました。
しかし、この「いか」という呼び名は、江戸時代の人々によって「たこ」に置き換えられました。なぜ「たこ」と呼ばれるようになったのかは、現在でも諸説あり、はっきりとした理由はわかっていません。
たこあげに関する俗説のひとつに、「江戸時代のいかのぼり禁止令がきっかけで『たこ』と呼ぶようになった」という話があります。
この説によると、1655年(明暦元年)に子どもたちの凧揚げが禁止された際、江戸っ子たちは「これはイカではなくタコだ」と屁理屈を述べて凧揚げを続けたとされています。この俗説は江戸っ子のユーモアを象徴するものとしてよく知られていますが、実際に名前が変わった理由は不明です。実際に、江戸幕府による禁止令の記録が残っています。
1655年に出された禁止令には次のように記されています。
明暦元年の禁止令
「紙鳶(いかのぼり)をもって遊ぶこと禁ぜらる」(出典:厳有院殿御実紀, 9巻, p.12)
つまり、この時期には「いかのぼり」と呼ばれていたことがわかります。
明暦2年の禁止令
しかし、翌年の1656年(明暦2年)に再度出された禁止令では、次のように記されています。
町中にて子供たこのぼり堅く上げさせ申すまじく(出典:正宝事録, p30)
この記録では、「たこのぼり」という呼び名に変わっています。
このように、わずか1年の間に「いかのぼり」から「たこのぼり」へと呼び名が変化していることがわかります。
正月の風物詩としての凧揚げ
凧揚げは、特に正月の風物詩として広く知られています。新年を迎えた家族が集まり、青空の下で凧を揚げる姿は、多くの人々にとって日本の伝統的な正月行事のひとつと言えるでしょう。
正月に凧揚げを楽しむ習慣は、日本各地で根付いており、地域ごとに独自のデザインや揚げ方が伝承されています。こうした伝統は現代でも続いており、特に子どもたちにとって新年の楽しみのひとつとなっています。
民俗学的な視点からの考察
凧の歴史や呼び名の変遷について、学術的な研究は意外にも少ないのが現状です。斎藤忠夫氏の著書「凧の民俗誌」によれば、このような状況に問題意識を持ち、同書を執筆したとされています。
凧は日本の伝統文化の一部であり、特に江戸時代以前から現代に至るまで、日本各地で多様な形状や遊び方が発展してきました。
しかし、古文書や現代の学術研究を調査しても、凧に関する体系的な研究や学術的文献はほとんど見当たりません。この点において、さらなる研究の必要性が指摘されています。
まとめ
日本の凧揚げ文化は長い歴史を持ち、特に江戸時代には「いかのぼり」から「たこのぼり」へと呼び名が変化したことがわかります。その背景には、禁止令や江戸っ子のユーモアなどが関与していた可能性がありますが、実際の理由は明確ではありません。
また、凧揚げは正月の風物詩として現代でも親しまれています。このような歴史を知ることで、現代のたこあげに対する理解や楽しみ方も深まるのではないでしょうか。今後、凧に関するさらなる学術研究が進むことで、より詳しい歴史や文化的背景が解明されることが期待されます。
ぜひ、次回の正月には凧揚げを楽しみながら、その奥深い歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?